神戸U-18時代から世代別の日本代表にも選出された経験を引っ提げ、桐蔭大の門を叩いた上田駿斗。入学直後から難病である潰瘍性大腸炎と戦いながらも、4年次には最終ラインのポリバレントとして存在感を放った。今年からはJFL・鈴鹿ポイントゲッターズへ加入する上田が、“当たり前”ではなかった4年間を自らの言葉で振り返る。
入学当初から3年間の闘病生活
-神戸U-18から桐蔭横浜大学に進んだきっかけを教えてください。
他の大学も視野に入れている中で、桐蔭の話は神戸の強化部の方から聞いていました。色々な大学を受験しながら、最後に桐蔭のセレクションを受けたときに声をかけていただきました。最初は全然知らない大学でしたが、自分たちが高校3年生のときにアミノバイタルカップで優勝したので“強い大学”というイメージはありました。
-世代別の日本代表への選出経験がある中で、当時のチームメイトにはどういったメンバーがいらっしゃいましたか?
冨安(健洋/ボローニャFC)や堂安(律/ビーレフェルト)、小柏剛(明治大→札幌)とかも一緒でしたね。
-潰瘍性大腸炎に罹患した経験についてお伺いしたいです。自分の身体に異変を感じたのはどういったきっかけだったのでしょうか。
1年生の夏のタイミングで、ひどい症状はなかったものの血便が出たのがきっかけでした。親に相談して近くの病院に行ったときは「痔なのではないか」と言われたのですが、検査をしても痔ではなかったんです。大学病院を紹介されて大腸の検査をしたところ、潰瘍性大腸炎が発覚しました。1年目は痛みの症状もなかったので、普通にプレーをしていましたが、2年生から痛みが出てきました。
-症状が出た2年生のタイミングからはどのように過ごしていらっしゃいましたか。
2年生から徐々に腹痛の症状が出始めて、トイレの回数が増えてきたんです。そこからは体調を気にしながらプレーをしていましたね。2年生のときはまだプレーこそできる状況でしたが、3年生からが辛かったです。夏場に一度入院をしたり、外に出る気力すらも削がれてしまうほどでした。
-潰瘍性大腸炎に治療法や予防策はあるのでしょうか。
難病指定をされていることもあり、今の医療で完治することはありません。自分の体質に合った薬を飲み続けて落ち着かせることしかできない状況です。
-入院時はどのように過ごしていましたか。
3年生の夏から1ヶ月ほど入院していました。腸の症状なので、トイレの回数を落ち着かせるために食事ができない期間がありました。点滴治療を続けて、トイレの回数が落ち着いたタイミングでお粥から食事を再開して徐々に普通食へ戻していきました。普通食に戻して問題がなければ退院できるので、時間がかかりました。体重が7、8kg減ってしまうので、筋力を戻したりするのが大変でしたね。
-プロサッカー選手を目指す中で、病気になった時のメンタル面への影響もあったのではないですか。
最初は症状も出ていなかったので、宣告された時は医師に「スポーツ選手でもかかっている人はいるし、薬が合えばプレーもできる」と言われたので重くは受け止めていなかったんです。確かに症状が出てからはキツさを感じましたが、大学では4年間サッカーをやり通そうと思っていました。なので、「辞めたい」「諦めたい」という気持ちはありませんでしたね。大学4年間ではネガティブな気持ちを持ったことはなかったです。
「人とは違う4年間」
-同期のチームメイトやチームスタッフとの関わり方はどういったものでしたか?
最初、僕は周りになかなか病気のことを打ち明けることができませんでした。とはいえ、サッカー部は一緒にいる時間が長く、自分の想いを伝える先はここしかなかったんです。実家も関西にあるので、親や地元の友達に簡単に相談することができなかったので、仲間の大事さとスタッフへの感謝を強く感じていました。
-4年生でトップチームの試合に出ることや、ゴールを奪えたことを今どのように感じていますか?
もとより、僕はトップチームで試合に出ることを目標にしてきました。思い描いた4年間とは全然違ったし、病気になって他人よりも苦労した気持ちもありました。なので、自分が試合に出られた喜び以上に、周りの人たちが「帰ってきたな」と、声をかけてくれたことがとても嬉しかったんです。駒澤大戦で決めたゴールは人生で一番嬉しかったですね。
-大学4年間を振り返ってみると、いかがでしょうか。
僕は人と違う4年間を歩んできたので、“当たり前”の大事さを実感しました。復帰してからは1日1日が楽しかったですし、今サッカーができていることは当たり前ではなく、親やスタッフを含めて感謝したいです。
-鈴鹿ポイントゲッターズに加入が決まったきっかけはどのような経緯でしたか?
安武監督から鈴鹿の練習会のお話をいただいて、自分もサッカーを続けたかったので参加させていただきました。その日は練習試合に参加したのですが、すぐにオファーをいただきました。他のチームの練習にも参加しましたが、求められているチームに行こうと思いました。
-ミラグロス・マルティネス監督にはどのようなイメージをお持ちでしょうか。
スペイン出身の監督ということもあり、熱い気持ちを持っている方です。プレースタイルも、最終ラインからビルドアップをして試合を組み立てることを重視されています。
-自身の特徴はチームのプレースタイルの中でどのように発揮できると考えていますか?
中学・高校とヴィッセル神戸でプレーをしてきて、最終ラインから組み立てる部分には自信があります。自分はサイドバックとして獲ってもらっているので、攻守での運動量がより求められると思います。
-サッカー選手としての人生がまた新たに始まりますが、現在描いている未来像を教えていただけますか。
サッカー選手になった今がゴールとは思っていません。桐蔭の同級生が7人プロに入って、高校の同期もJ1でプレーをしています。もちろん、追いつくためにステップアップをしていきたいです。
【プロフィール】
上田 駿斗(うえだ はやと)
ポジション:DF
生年月日:1998年4月14日
来歴:
ヴィッセル神戸U-15-ヴィッセル神戸U-18-桐蔭横浜大学-鈴鹿ポイントゲッターズ
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